1月17日公開!『ペット・セメタリー』試写会。

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ペッセメ。
マジでスゲー怖かった。

いつの時代に作っても、これは常に恐ろしい作品。

昨今大きな盛り上がりを見せているこれまたスティーブン・キング原作作品。

オリジナル同様に死んだ人が蘇って、生者に襲いかかってくるんだけど、その始まりにはちゃんとした人間的で、共感させてくれる理由がある。
ただの腐った死体がウロウロするゾンビなんかとはまるで違う次元の話。
ゾンビ映画って安易に生き返りまくる死体とのサバイバルが基本の展開だが、ペッセメは避けられない「死」という現象をキングならではの手法でマジメに描いている。

「死」はいきなり訪れて、とっとと去っていく。

それは残された者に大きな絶望をもたらすが、すこぶる健全で、これ以上ないほど自然な、生命のあるべき終わり方なのだ。

父親が理性的に語る「死」を受け入れるべきという言葉はとんでもなく正論。
間違いない理屈だし、反論できない。

死が覆されるのは不自然。
無力であることが普通。

でも、身近な人、愛する家族の身に起こった時、冷静でいられるはずがない。

近所に神をも恐れぬペット・セメタリーがあるのならば、使わない手はないのだ。

哀しみに耐えられずに禁断の手段に訴える父親の揺れる心情が凄く良く描かれていた。

先住民が土地にもたらした呪いの力を借りてでも、愛する娘を取り戻したいと思うのがこれまた親であり、家族。

頭では間違っていて、愚かな行為だと分かっていても、足はペット・セメタリーへと向かってしまうのだ。

地獄から帰ってきた魂は、自分の娘ではなく、邪悪な何か。
結局は愛情が家族を破壊させてしまう。
それって悲劇極まりない。

今度の現代的に作り直されたストーリーは、大まかな設定は同じだが、より「家族」というテーマが強調された作りになっていて、登場人物の葛藤も深く掘り下げられている。
夫婦が「死」への考え方で相反する構図には、後半の決断にちゃんと意味を成してくる。

終盤で蘇ってきた長女と夫婦とのやりとりはこれまでに見たこともないような気持ち悪さ。
圧巻のシュールでもあり、本作の特筆。

あと何かが1ミリでも間違えれば笑いに転じるかもしれないギリギリの神業で、目の前で展開するあまりに異常な状況に身震いする。

80年代特有のシリアスになりきれないコミカルな空気は一瞬もなくて、いたって硬派なホラー演出に努めている。

ラストの悲劇性もずっと高く、オレは好みw
あまりに絶望的という意味では、キングらしさがさらに色濃いのではないか。

純粋無垢な幼少期に誰もが一度は「死」を見たり、感じたりする。
オトナになっても忘れない強烈な体験。

そこで心に刻まれたトラウマや記憶。
キング作品の根底であり、恐怖の原点。

『ペット・セメタリー』が描くのは、「死」による復讐。
想像したくない、おぞましい世界。
「死」を受け入れられないことで、その地獄が露になる。

お互いを思いやる家族であるがゆえに、この物語は必然として起きるのだ。
怖すぎて、哀しすぎた。

死者は一度死んだら死んだままが平和。

ペッセメ。
もちろん傑作!

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