『スリー・フロム・ヘル』

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ここにきての偉大なる巨匠ロブ・ゾンビです。

イーストウッド、スコセッシ、ロブ・ゾンビ。

それぐらいの偉業の歴史を誇り、映画人としての貫禄があるわけですこの人にはw

社会規範や体制への反骨魂。本能という正義。ロックンロール。シリアルキラー。

一本筋と芯が通った人間の不器用なまでの誠実さは、どんだけ年を取って、時間が過ぎても決して揺るがないのだ。

60年代から70年代にかけて揺れ動いた激動の時代に生まれたパワフルでエネルギッシュなアメリカ映画が描いてきたテーマを根幹に成し、一般社会の枠の外で儚くも激しく生きるアウトサイダーやアウトロー的思想を頑なに懐かしみ、「いつまでもバカの一つ覚えのようにロックしてやるぞ」という飽くなき精神を貫く骨太なアメリカンマザーファッカーな愛国者。

ロブ・ゾンビは絶対にロブ・ゾンビを信じる者を裏切らない。

ロブ・ゾンビはやるべきことをやる。

そのあらゆる所作は微塵もブレず、狂いもない。

時代は変わるが、ロブ・ゾンビはそんなことはおかまいなしなのだ。

多様性? 男女平等? フェミニズム?

知らんがなw

寝言は死んでから地獄でほざいてくれ。

おそるおそる空気を汲み取っては、時代に合理的な洗練オシャレホラーをファッションのように垂れ流すような軽薄なフヌケ共は不要なのだ。

ロブ・ゾンビこそ必要。

そして、『デビルズ・リジェクト』というもはや本家『悪魔のいけにえ2』より愛着があるかもしれない輝かしい栄光の名作から15年ぶりの続編にして、たぶん完結編だと思う『スリー・フロム・ヘル』登場というのがマジでロックすぎる。

これぞ世界が観たかった映画ナンバーワンw

優等生なミレニアル世代が要領ばかり考えたお上品ホラーばかり見せられていたので、ようやくぶりの「いい映画」を提供してくださったのがロブ・ゾンビなんだから涙しか出ないわけですw

殺人最高、殺人命の危険なファイアフライの皆さんは永遠に不滅。

彼らは饒舌に社会批判を繰り返すが、はっきりいって何を言ってるのかほぼワケが分からない。基本的に狂っているのだから。

とことん狂っているが、投獄されてもなお、自分以外の価値観に囚われない姿がやたらとカッコいいw

社会通念だのルールだのに縛られて、他人の評価や法の支配に脅えながら生きるしかない「常識人」である我々がマヌケな腰抜けに思わせるぐらい、ファイアフライという生き様は明確であり、自信に満ち、迷いがない。

彼らは殺すべき時に殺すべき相手を殺すだけなのだ。それがファイアフライ。

殺されたらそれまでだし、殺されるまで殺すだけ。

「生きていることが不健全だ」と言い切るぐらいに彼らは殺すことが生きることなのだ。

命乞いする場合はご用心。

理屈で説得など通用しない理不尽で奇怪なファイアフライという存在が絶対なのだから。

ファイアフライの精神そのものであったスポールディング亡き後という寂しさはあるが、オーティスというサタンな頭脳は凶悪で邪悪であり、ベイビーは無邪気で気ままに殺人大好き殺人者にゃんにゃん♪

さらに、ロブ・ゾンビ映画でおなじみで、前作『31』でのドゥームヘッド役が鮮烈に素晴らしかったリチャード・ブレイクも嬉々として参戦。

これはファンにとっても和やかな気持ちになるほっこりキャスティングw

頼もしきキチガイメンバー加わっての新しき最強の3人が誕生でおめこ。

そんなゴキゲンな3人の逃亡先が今最も熱く、情熱的で、近寄りがたい災厄の土地メキシコであり、今回のクライマックスが展開。

地元で恐れられる悪しき残忍な犯罪集団から恨みを買ってしまうファイアフライでありますが、ただの復讐心でムキになってるタコス臭いメキシコ人ごときでは、ファイアフライとは育ちがまるで違うというかくぐってきた修羅場が違うのだ。

そーゆーわけで、最高でした。

容赦ない人殺し描写はシンプルに、ムダがなく、泥臭くて痛快。本当に心地よい。

オッパイ表現はわざとらしくなく自然体で、放尿に至っては、放尿してる本人がトイレがどこにあるか分かっていないから無罪だったりするw

ロブ・ゾンビという美学、健在だってことですわ。

ホラー映画大好き、ロック大好き、シリアルキラー大好き。

ねー。

『スリー・フロム・ヘル』は凄く純粋で、ワクワクさせてくれるし、吐き気がするようなヘタレなこれみよがし社会派アピールもしない完全無欠なる人殺しエンタメ。

ロブ・ゾンビさんは信用できる数少ないホラー映画作りのマジメな人。

何よりもカミサン好きすぎる愛妻家なのだw

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